はてなブログ・・・略・・・小説、30日目

 

 

「私が刺したの!私が!!」

 

「・・・・・・・?!」

 

 いったい、少女は何を言っているのだろうか?親友は、まるで共演者のセリフを予告なく変更させられた女優のように立ち尽くした。もはや、質問する言葉はおろか気力すら浮かんでこない。服が料理によって汚されてしまったことなど、まったくあさっての方向に飛び去ってしまっている。味噌汁で強かに濡れてしまって重くなっているはずだが、そんなことは全く気にも留めない。

 

 彼女は確かに言ったのだ、誰かを刺した、と。目的語がないのは日本語として必ずしも失格というわけではない。それが会話文ならなおさらである。しかし、これでは何を言っているのかわからない。相手に対して意味を伝えるという、言葉の第一義すら満足させていない。

 

 いや、それよりも問題なことがある。自分のことだ。親友は驚くべきことにまったく興奮、あるいはテンパっていない自分を発見していた。これほどまでに強い人間ではないことは誰よりも彼女自身が理解していることだ。

 

どうしてこれほどまでに恐るべき現実を目の当たりにして、自分はこれほどまでに冷静でいられるのだろうか?あまりにも非現実的な会話に自分が参加していること自体が信じられない。テレビやネットで出回っているニュースなんてしょせんはフィクションにすぎないと思っている。外国発信はおろか彼女が住んでいる太陽国でも遠い場所で起こったことは物語と同レベルに扱うことにしているほどだ。

 

 そんな彼女を、括目させるような事実が待っているなどと、今の今まで予想だにしなかた。しかしながら、一方で常日頃、少女に、自分に対して隠し事をしているのではないかという疑いに対して明白ではないが、一定の答えを得られたような気がする。

 

 いや、これから明白になるのだが、べつに少女は親友の精神的衛生について思いをはせてゆっくり告白しているわけではない。あるいは思いきりがよくないわけでもない。自分の中ではすでに事実を打ち明けているつもりなのだから、事実を知っている叔母や、そして、母親に代弁してもらおうなどと、甘えたことを考えているわけでもない。

 

 だが、もう一言が続けられないのである。喉がからからに乾いて舌がうまく動かない。もはや、言葉を発する機能が完全に失われてしまったのだろうか。

 

 モンシロチョウが窓の上部にぴらぴらとやっているのが見えた。それがうまく彼女の背中を押した。

 

 少女は言ったのである、自分は人殺しだと、母親を刺したのだと。

 

 彼女が動転していたことを示すのに、その言葉がおかしいことに気づくのにかなりの時間を要したこと以上の証拠はないだろう。

 

 なんといっても、少女が刺殺したという母親は、自分の目の前でぴんぴんとしているのだ。しかし、彼女が嘘を言っているとはとうてい思えない。もしもそうならば彼女は名女優だろう。まさに迫真の演技というよりほかにない。

 

 食べ物による汚れや割れた食器によって受けた手首の傷を意に介すことなく、床に伏して泣き叫ぶ、その姿は一つの単語を親友の脳裏に浮かばせた。

 

 さすがに医師としての本能からか、赤い液体に敏感に反応した叔母は彼女の名前を呼びながら押さえつける。

 

 そんな、常人ならば数秒とて正視できない状況を目の当たりにされても、やはり、彼女は浮かんだ言葉を否定せざるをえなかった。

 

 彼女は自分が何事か叫んでいるのに気付いた。それは少女の名前だったかもしれないし、自分は二人称を何が合っても好きだというような文章だったかもしれない。とにかく、科彼女自身も少女よろしく正気を失っていたらしいことは確かだ。彼女は記憶をある時間、完全に失っていたのである。

 

 

 

 人間とは得てして、自分以外の人間が自分よりも激しく正気を失うと急激に正気を取り戻し、かつ、自分を取り戻す、そういった大変にはた迷惑なタイプの人種がいる。少女はまさにそれにカテゴライズされる。

 

 親友は確かにこういったのだ、自分のファーストネームを叫んだ後に、自分のことが好きだと、何があってもそれは変わらないと。

 

 いつの時代、洋の東西を問わずに恋愛詩に歌われていそうな軽い言葉だが、いざ、親友がこの状況で言うと鉄の説得力を持った。

 

 それが少女に自分を取り戻させた。

 

 それでも独り言のように言葉を繰り返す。

 

「私はママを殺したの」

 

「あなたが殺したのがママでも私でもなんでもいい!あなたが好きなのよ、それはあなた自身にすら変えさせる権利を与えない!」