はてなブログ・・・略・・・小説、29日目。

 母親と叔母と、そして、親友、この三人はいま、彼女らがやっているように料理の皿を単に回しているだけなのだ。決して少女だけを仲間外れにしているわけではない。たまたま、彼女がその皿の上に乗せられているものを嫌っているからだ。彼女と過ごした時間が長い彼女らならばそれを知っていても無理はないではないか。

 そう考えるのが理性的な人間というものだが、あいにくとその時の少女は正常ではなかった。

ちょうど、少女の目の高さにマヨネーズで和えたシーチキンが移動するところだった。和食に不釣り合いな闖入者に少女はついにいらいらを隠せなくなった。

それは彼女を無視して親友の方向に、彼女は取りたかったのだが、目の前を通り過ぎていってしまった。

「それ、私も食べたいの!!」

 思わず、両手でテーブルを叩いていた。べつに無実のミッキーマウスを殴りつけていたわけではない。骨が砕けたような気がした。もろに硬いものに手根骨がぶつかったような気がした、もちろん、爪や指の骨を通り越してのはなしである。

 自分に怒る視覚なんかない。そんなことはわかっている。自分は実の母に刃物を向けた身であり、結果として大事に至らなかったとしても、しょせんは親殺しにすぎないのだ。この世で大切なのは結果ではない。それは本人にはどうしようもないことだ。すべては物理法則に委ねられる。力のさじ加減で、殺人と殺人未遂に分かれるが罪の重さなんてまったく変わらない。少女は母親を殺した、のである。

 それをわかってはいてもこうせざるをえない。これでは真綿で首を絞められるようなものだ。人殺しに相応しい処遇をすればいい。少女は親友を見下ろした。どうしてそんな顔をするのか?自分はみたくない!今度は彼女の目の前に該当するテーブルを叩く。そこに食べかけの皿があろうが、お代わり仕立ての味噌汁が並々と注がれた器が置かれていようと知ったことではない。

 がちゃんと、非音楽的な音とともに味噌汁やらご飯やらが、それとは非対称的に固有の意思を持った有機物、いうなれば生命体のようにテーブルの上で暴れ始めた。それらは幾重にも分かれて、何本もの手足となって三人に襲いかかったが、誰も逃げ出そうとすることはおろか、身動きすら立てない。

 少女はその怒りをついに声に乗せた。親友の名前を叫ぶと、「あんたなんて私のこと嫌いなくせに、軽蔑しているくせに、何を友人ずらしてんのよ!」

 いったい誰がそんな不遜なことを言っているのか、少女はその人物を力の限り殴ってやりたくなった。しかし、彼女の代わりにやってくれる人がいた。叔母が立ち上がると長い髪を宙に浮かせて姪を叩いた(はたいた)のである。しかしながら、暴力の被害者からするとそんな軟な表現では不満だったであろうが、傍からみている人たちにとってみれば、彼女の全く無駄のない何やら超人めいた動きから、暴力という野蛮な二語は浮かんでこなかったというより他にない。

 叔母は手と腕を巧みに使って叩いたのだが、体幹が微動だにしなかった。それが少女により恐怖を感じさせた。普段は感じさせないが、こうやって見下ろされるとさすがに女性らしからぬ強靭な肉体を服の上からも感じさせる。さすがに、学生時代はテニスで鍛えただけはあると、生涯を通じてスポーツには縁がなかった姉はのんきにもそんなことを考えている。

 この歌手は、さきほどの動きをテニスに似ているなどと考えているのだ。もしも、娘がそれを知ったら何か救われるところがあるだろうか?罪悪感からはいくらか救われるかもしれないが、もう一度刃を向けてくるに決まっている。

 さて、少女は真夏だというのにがたがたと全身を震わせていた。叔母は相変わらず姪を睨み下ろし続けている。しかし、全く近づいては来ないにもかかわらず少女は逃げようとしていた。だが、手足が強張ってまともに主人の命令に服従しようとしてくれない。命の危険すら感じていた。だが、一度は自分を親殺しと見下げ果てたはずではないか、罪に罰というわけで素直に殺されるべきではないのか。

 恐怖というものは伝染するらしい。

 親友は怯えている少女を見ているうちに自分がそうされているように感じてしまったのである。それには、彼女に対してのある意味友情を超えるきもちが関係していた。ほとんど何も考える暇もなく彼女は自分の身体を宙に浮かしていた。そして、床に横たわる少女の身体を自分の体で覆ったのである。

 

 叔母は黙ったまま後悔していた。

 しかし、一方では、この場では精神科医ではない彼女にしてみれば、唯一の肉親に対する情愛の表現方法だった、ということができるだろう。それに自分がこのような行動に出た結果、少女の親友は自分の素直な気持ちを吐露することに成功した。

 だが、それはあくまでも結果論にすぎない。

 もうひとついえば、少女は黙ってそれらを受け止めるような人間ではないことだろう。かえって重荷になってしまったかもしれない、いや、そうなったのであろう。叔母は、第二の爆発を危惧した。ほどなく、それは起こるであろう。

 その一方で、この状態を生み出した元凶といえる姉は何をやっているのか、まるでこの状況はすべて舞台の稽古であって、自分たち三人は女優で、彼女はこの場をすべて統括する監督、というようではないか。

 彼女のそうした上から目線は今に始まったことではない。この場においては一番、過ごした年月が長い妹にからすれば、ごく当たり前の、まるで着慣れた肌着のようなものだ。しかし、彼女はそれに対する対処法はそれなりにマスターしているし、そうなる過程においては、今度のような感情爆発は何度も経験していることだ。

 目の前の二人の少女からすれば彼女が、自分を見失って激高する場面など想像だにできないかもしれないが、姉からすればそれほど珍しい光景でもない。

 だが、彼女とて平静でいられる状況ではない。まだ傷がうずくというのが理由でもない。ただ、娘の反応をどう受け止めるべきなのか簡単には答えが出ないからだ。感情を表にだすことに慣れていない彼女は、こういう状況に出くわすと周囲から上から目線だと言われるのが、いつものことだ。特に妹にはなんど、そう罵られたかわからない。この綺麗な顔の妹がその言葉を覚えたのはいつのことだろう。感性よりも知性が圧倒的に発達していた彼女だからかなり早かったと思う。姉が十分にその言葉を習得する以前、そう辞書的な意味を知って入ってもその言葉の奥深くまで理解しきれていない状況、受け取る方がそれほど未熟にもかかわらず、発信者は無神経にもその言葉を直球でぶつけてきた。

 状況はいよいよ切迫しているようだ。なんとかしないと、何も動かないだろう。娘もその親友もこの時間に永遠に縛り付けられたままかもしれない。自分が動くべきだろうが、娘が必ずしも自分に対する罪悪感だけで苦しんでいるわけでもないと思うのだ。だが、その確かなことはわからない。いったい、あなたは何を悩んでいるの、一言、それが言えればいいのだろうか?