はてなブログ・・・略・・・小説、33日目。

 少女は圧倒的な不安に押しつぶされそうになっていた。もういちど、みんなで元に戻した、いや、親友の趣味も加えて以前よりも美しく生まれ変わったキッチンを、今度は回復不可能なくらいに破壊したい衝動に駆られた。

 そんな彼女の耳に、ふたりの血縁者の会話が飛び込んでくる。

「あの子ねえ、デザイナーの才能があるわよ」

「いや、どちらかというと建築家だとおもう」

 実母の言葉に応じたのは伯母である。

 つい、本当はあの子が望んでいるのは、音楽の道であって、ママを尊敬しているのだと告げそうになってしまって、少女は噤んだ。

 そうすると再び不安が襲ってきて、少女を苛む。その内容は、親友が本当に自分を受け入れてくれたのか、それに対する疑義だった。リヴァプール語の授業で習った、doubtsuspectの違いが何の前触れもなく思い出された。両者ともに太陽国語では疑うという意味だが、後者は悪い意味、前者は全般的に使われる。あきらかに、今の少女の、親友に対する心情はsuspectである。

 親友は心の底では、母親を傷つけた少女を軽蔑しているのだが、音楽を志したい野心からその母親へのコネを壊したくない、本人はそれを構築するのを嫌がって、知らせないように厳命していたというのに・・・・、そのことはとりあえず横に置いておいて、そういう腹積もりから嘘を言ったのだ。

 しかし次の瞬間には頭を固いものに打ち付けたい衝動に駆られる。

 なんてとんでもないやつだろう。こんな人間を誰か好むだろう?だれから見放されても文句は言えないだろう。

 相反する思いが少女の中で葛藤する。そんな内面を二人に見せたくないので、自室に引き下がろうとする。ちょうどキッチンのドアノブに手をかけようとしたときに携帯のバイブがその存在を主張した。

 開いてみると親友だった。

 メール。

 さきほどの、いまだけどすぐに話がしたいと、何と、その相手は少女ではなくて、彼女の母親であった。

 ついに、本性を露わにしたとでもいうのか、suspectが鎌首を擡げる。大蛇が銀灰色の腹をみせてのたうつのが見えるようだ。しかしそんなことはオクビにも出さずにメールを打ち返す。

 ママに聞いてみるよ、きっとOKだしてくれるよ。

 はたして、実行してみると想像通りの回答があったので、その通りメール打ちを行う。不思議なことだが、つい数分前は煩悶の中にいた少女が、変に浮き浮きとしている。単純な楽しいという気分ではとうてい、ないのだが、鬱々とした煩悶に比べたら天国のようなものだ。

「すぐ、お母さんの車で戻ってくるって、いったいなんだろうね」

  傍らにいる母親に話しかける。彼女は文庫本を広げている。ブックカバーで隠されているために題名はわからない。

「もしかして、あなたはわかってるんじゃないの?そうなら言ってごらん」

「わ、私の口から言えないよ」

 その言がほしかったとばかりに、母親は口を開く。

「友情はそうでなくてはいけないね、あの子はあなたにとって得難い存在だよ」

 廊下から、いったいどの口がそんなことを言うのか、そういう視線が実の妹から送られてきたことは、あえて無視して、彼女は続けた。

「あなたは同席するの?」

 親友しだいだと頭を振った。

「・・・だけど描きたい絵ができたの」

「親友よりも絵が大事ってこと?」

 詰問口調になったので、浮き浮きした気分が萎んでしまった、そのことを責めるうえでも反論がきつくなった。

「そ、そんなことつもりじゃないわよ」

「それはいいわ。確かめておきたいこがあるの、あなたはもう音楽の道に進む気はないのよね」

 どうしてそんな質問をよりによってこのときに娘にぶつけるのか、姉さんはどういうつもりなのか、今度はそういう視線を、あの妹はぶつけてきた。

「ちょっと、ドアを閉めてくれない」

 娘に行為を促す。時計をみると、メールから五分が経過している。彼女たちがこの家を後にして20分、それを単純に逆算するとあと15分であの裏切り者の顔が拝めるわけだ。少女はこの際、面倒な思考を放棄することにした。彼女の精神衛生的にそう思った方が是全体的な精神の運営がうまくいくと、彼女の上位自我もそう判断したらしい。

 あと15分がとてつもなく長く感じる。その間に熱いシャワーでも浴びて気持ちの転換を図ろうか、心のどこかで親友に対する評価が換ればいいと思っているのだろうか?いや、そうではあるまい、少女は窓の外を眺めた。太陽はいよいよ天に近づいて夏の暑さが勢力を持ちなおそうとしている。何十億年後といわず、次の瞬間に太陽はこの星を呑み込んでくれないものか、あまりにもばかばかしいことが頭に浮かぶ。

「何をそわそわしてるの」

 「べつに、そわそわなんか・・・・・してるわね」

 彼女が思い描く母親は、ここで「そんなに怖いの?あの子が?」と吐くのだが、現実の母親はそんなことは口にもしない。しかし少女が相手にしたのは、現実でなく。彼女の妄想の方だった。

「私は、あの子なんて怖くない!」

「あの子が怖いの?信用できないの?」

「ただ、私を利用しやすい道具として使ってるだけ、だから、人間のクズなのに友人扱いするんだわ」

 考えてみれば、思いのたけを実母に打ち明けたのは、相当に幼いころが最後ではないか、自分に対して「悲しみなさい」「だから泣きじゃくるべきよ」と暗示をかけ、じじつ、自分がそのようなみっともない姿を晒しながら、制御できる自分と、できない自分に完全に分割され、右と左の区別もできなくなっていた。

はてなブログ・・・略・・・小説、32日目。

 少女の親友にとって、今回のお泊りが何回目なのか、まさか数えているわけではないのでわからない。一年に夏は一回しかないので単純計算すれば、幼稚舎から高等部2年時まで13回目ということなるが、何かあると名目をつけてお互いの家を行き来していたので、その回数はまさか天文学的数字になるはずがないが、それなりにはなると想像される。

 そんなことはどうでもいい。

 助手席から車窓ごしに動き行く風景を食い入るように見つめながら、親友は母親の運転によって自分の運命が左右される事実に愕然とした。

「母さんの運転しだいで、あたら若い命が散っちゃう可能性があるわけだ」

「何をばかなことをいってるの?」

 母親は娘のたわごとに貸す耳を持っていなかった。こんなに朝早くに呼び出されたことが気に入らないのだ。しかしその後彼女の口から出た言葉には思わず耳をいくつも用意しなくてはならないと思わされた。

「母さんに命を左右されるということは、ここはいわば子宮よね、私、羊水で漂ってるんだ」

 危うく、母親はハンドルを切り損ねるところであった。

「ほら妊婦としては気を付けないと」

「何を、ばかなことを言ってるの、この子ったら・・」

 どうもあの家に泊まると娘を奪われるような気がする。それは、あの歌手は有名芸能人としてはかなり常識的だし、友人としても得難い存在であることはわかっている。しかしながら娘が幼いころからあの家から帰るたびに夢見がちな子に変容している嫌いが昔からあった。

 感化されて悪いということはないが、娘の年齢を考えれば現実を直視してほしいと、親として考えても当然ではないか?

 「あれくらいのカーブなら父さんの方がうまいだろうな」

 運転免許も持っていないあなたに言われたくないわよ、とはまさか反論するほど母親は子供ではない。だが、このイライラはなんだろう。先方とはたしかに格が違うものの、太陽国でも五指に入るといわれるお嬢さん学校に娘を通わせている身であり、アッパークラスを名乗っても誰からも文句は来ないだろう。

 自分が何にイライラしているのかやっとわかった。自分があの学校の母親たちが交わしている会話と同レベルの思考をしていることに気付いたからだ。あの歌手は、その中で違うレベルの話ができる珍しい存在のはずだった。

 だが、真実を知ったとしてもイライラは解消されない。たとえ病因がわかったとしてもその対処法がなければ患者は死んでしまうだろう。

 母親は自問自答してみた、娘が夢見がちになっていることは病気だと言えるのだろうか?感化されるのがまずいと、その可能性について思考が揺らいだが、彼女は音大志望の娘を抱えているのだ。高等部に進学するとき、彼女は自分の立場からかたちだけ強硬に反対してみせた。じつはいわゆる高名な歌手に、娘が才能があるという言質を得ている。もちろん、彼女自身、自分の希望を歌手に知られたくないと母に漏らしていたので、そのことを含めて二重に秘密にしてほしいと頼んではある。しかし素質があるからといってプロの歌手になれるわけではない。そのことは、あの歌手も言っていた。だから二重に秘密にすることは、娘にとっても重要なことだろうと言っていた。

 

 母親に相手をされなくなったためか、娘は携帯を取り出した。

 こうなると自分の羊水に使っている対象だけに、その運命を左右させたくなるというものだ。こちらから話を振ってみる。

 「高名な歌手が身近にいるんだから、話してみればいいのに」

「ママ?!」

 感情が高ぶると母親の呼び方が変わるのはどうしたわけか、確か、幼いころにママと呼ぶのを戒めたことがあると夫が言っていた、彼女自身はそんなことを言った覚えはない。

 娘の、断末魔の蚊の叫びのような声によって、母親はようやく娘の前で触れるべきではないことに触れてしまったと悟ったがあとの祭りとはまさにこの状況だろう。しかし二重の秘密のうち、どちらの紐も切ってしまったわけではない。むしろ、娘の方から言い出すことが話の筋としてはとおっているのではないかと、オトナの威厳を持ち出してなんとか説得、いや、鎮火に乗り出す。

 「知ってるよ、母さんは、私が音楽科に行ったことにいまだに反対してるんだよね。だけど、私は約束を果たしているはずだよ。この前の模試の偏差値、みたでしょ」

 彼女が、自分の発言に自信持つだけあって、いつにもまして優秀な成績を収めた結果を目に収めたばかりだ。音楽科に進学する条件として、父親に内緒で一定の成績を音楽以外の、いわゆる、主要5教科で収めることを提示したのだ。

 今のところ、娘は完全にその約束を履行している。母親に褒められてこそ、文句を言われる筋合いなどないはずだ。そのことは自分わかっている。

「3年の受験寸前になって、まさか志望を変えろとかいうわけじゃないでしょうね。もう、限界なのよ、はっきり言って、これ以上は無理よ」

「なら条件があるわ」

「また条件?いったい、何枚カードを出すつもりなの?私がママの娘でいられる条件ってないの?あったら教えてほしいもんだわ」

 この手は食わない娘は機転がきく。言葉の力で煙に巻くつもりなのだ。ここははっきりとさせておくべきだ。

「高名な歌手に自分の思いを打ち明けるの、それが条件よ。それができたら、偏差値が30になってもゆるしてあげるから」

 それは青天の霹靂というべき、母の言葉であった。

はてなブログ・・・略・・・小説、31日目。

 少女の親友にとってすべては明らかになった。彼女自身がすべてを詳らかに説明し、かつ、彼女の近親者ふたりがそれを追認したからである。誰あろう、被害者である本人が認めているのだから納得以外の選択肢はないといってよかった。

 少女の願いは叶ったかに思えた。彼女自身、それを納得したはずであった。しかしながら彼女の心の中に疑いが起こったのである。事実を明らかにした当日と、翌日、ちなみに日曜日であった、その日は久しぶりに肝胆相照らす仲に戻れたと安心したのである。時間を、久しぶりに感じることがない生活を送れたと思っていた。

日曜日は親友の提案でめちゃくちゃになったキッチンを原状復帰させることだった。母親は断ったのだが、掃除が好きだといって言い切るところは、親友の強さを改めて確認する機会となった。

 だが、彼女が帰宅すると心の中に闇が広がっていった。最初は単なる点にすぎなかったものが食事の最中に、叔母がドレスデンに帰る算段をしていると話し出したことがきっかけになって視野に影響を与えるまでに肥大化してしまった。

 「帰るって?」

「向こうから矢のような催促が降ってくるんだよ」

 叔母がドレスデンで職に就いている以上、向こうに戻るのは当然のことだ。彼女の許婚者はすでに母国に戻っている。

 母親の命を救ってもらい、自分に親殺しのレッテルが貼られることを阻止してくれた、まさに恩人だといってもいい人物だが、問題が目白押しの状態で、しかも、彼は太陽国語がまったく話せないことも相まって、それほど深い関係を結ぶことができなかった。

 しかし帰国する寸前に、少女にはなじみの深いリヴァプール語で手紙を、叔母には内緒でくれた。

「あきらめるな」

 ただ、その一言が安定感を暗示する文字で書かれていた。

 少女は、今の段階でその言葉の本当に意味するところを言語化する必要はないと考えた。だが、がっちりと自分を摑んでいるような、そういう力強い手と腕を感じることはできた。いまはそれでよい、そう考えて生徒手帳の中にそっと忍び込ませた。

 話を少女の叔母が帰国する問題に戻す。

 叔母は、姪を値踏みするような目で見ている。明らかに反応を確かめているのだ。少女にしてみればそういう叔母の態度も気に入らない。

帰るという表現が気になっているのだ。

だが、すこし考えれば自然とわかることだが、全く問題がないとわかるのだが、すっきりとしない。すわり心地が悪い。

この若い叔母は幼いときこそ面倒を見てもらったものの、長じると学生時代から外国を渡り歩いたり、目的も告げずに行方不明になったりしていたので、ある時期からはいないのが当たり前となっていた。携帯やPCを親から与えられると、長い間、長いこと打ち捨てられていたブログやツイッターのアカウントが突如して書き込まれるように、ネットを通じて離れた距離をものともせず関係を深めつつあったのである。

 仕事の都合ということだが、この年齢になって突然姿をあらわした叔母は、年齢的にみて親よりも若く、かつ、友人よりも当然のことながら年上であって、信頼を預けるのに適当な年齢であったのかもしれない。あるいは、いままでネットでつながっていたから、久しぶりに出会っても長いこと同じ時間を共有したような錯覚を覚えた可能性もある。

 少女本人でもはっきりしない。

 まるで今回のことで少女が元の彼女に戻ったかのような言いぐさだった。

 そう思い切って、自分が間違っていることはわかっている。叔母は、自分は彼女にとって主治医になれないと言ったし、その理由は少女もわかっている。だが、そうはいっても納得できない。よく考えてみたら自分が叔母にも依存していることに気づいた。

 そして自分が彼女に抗議するために、あるいは、胸をけ破って放出しそうなエネルギーの期限を考えてやるために、いつのまにか立ち上がっていたことに気づいた。

 またあの騒ぎを再現させるつもりかと、二人の近親者は無言で言っていた。

 少女はこの状況を改善するために何か言わねばとおもい、こんなことを呟いてしまった。

「ママ、まだ傷は疼くの?」

 言うに事欠いてなんてことを言うの、という言葉を呑み込んで、殺人未遂事件の被害者は口を開いた。

「あなたはなんて言ってほしいの?」

「姉さん!」

 それは絶対にこの状況で言うべきではないセリフだというニュアンスを込めて、叔母は語気を強めた。

 涙ながらに姪が親友に言ったことがあった。それは今年の夏は仕事が入っていないから自分といられるから感謝することを言葉で強要する内容であった。その発言が発作的に殺意にまで及んだのだという。もちろん、実行者の前で行為を容認するわけにはいかなかったが、姉妹が二人どうしになったときに詰問した。しかし姉は何を妹が言っているのか全く理解していない様子だった。

「感謝しなさい」と命令するならともかく、肯定を前提として、いわば共通了解として押し付けるのではニュアンスが180度ほど位相が異なっている。

 仕事の都合上、このままドレスデンに戻るのは不安だった。

はてなブログ・・・略・・・小説、29日目。

 母親と叔母と、そして、親友、この三人はいま、彼女らがやっているように料理の皿を単に回しているだけなのだ。決して少女だけを仲間外れにしているわけではない。たまたま、彼女がその皿の上に乗せられているものを嫌っているからだ。彼女と過ごした時間が長い彼女らならばそれを知っていても無理はないではないか。

 そう考えるのが理性的な人間というものだが、あいにくとその時の少女は正常ではなかった。

ちょうど、少女の目の高さにマヨネーズで和えたシーチキンが移動するところだった。和食に不釣り合いな闖入者に少女はついにいらいらを隠せなくなった。

それは彼女を無視して親友の方向に、彼女は取りたかったのだが、目の前を通り過ぎていってしまった。

「それ、私も食べたいの!!」

 思わず、両手でテーブルを叩いていた。べつに無実のミッキーマウスを殴りつけていたわけではない。骨が砕けたような気がした。もろに硬いものに手根骨がぶつかったような気がした、もちろん、爪や指の骨を通り越してのはなしである。

 自分に怒る視覚なんかない。そんなことはわかっている。自分は実の母に刃物を向けた身であり、結果として大事に至らなかったとしても、しょせんは親殺しにすぎないのだ。この世で大切なのは結果ではない。それは本人にはどうしようもないことだ。すべては物理法則に委ねられる。力のさじ加減で、殺人と殺人未遂に分かれるが罪の重さなんてまったく変わらない。少女は母親を殺した、のである。

 それをわかってはいてもこうせざるをえない。これでは真綿で首を絞められるようなものだ。人殺しに相応しい処遇をすればいい。少女は親友を見下ろした。どうしてそんな顔をするのか?自分はみたくない!今度は彼女の目の前に該当するテーブルを叩く。そこに食べかけの皿があろうが、お代わり仕立ての味噌汁が並々と注がれた器が置かれていようと知ったことではない。

 がちゃんと、非音楽的な音とともに味噌汁やらご飯やらが、それとは非対称的に固有の意思を持った有機物、いうなれば生命体のようにテーブルの上で暴れ始めた。それらは幾重にも分かれて、何本もの手足となって三人に襲いかかったが、誰も逃げ出そうとすることはおろか、身動きすら立てない。

 少女はその怒りをついに声に乗せた。親友の名前を叫ぶと、「あんたなんて私のこと嫌いなくせに、軽蔑しているくせに、何を友人ずらしてんのよ!」

 いったい誰がそんな不遜なことを言っているのか、少女はその人物を力の限り殴ってやりたくなった。しかし、彼女の代わりにやってくれる人がいた。叔母が立ち上がると長い髪を宙に浮かせて姪を叩いた(はたいた)のである。しかしながら、暴力の被害者からするとそんな軟な表現では不満だったであろうが、傍からみている人たちにとってみれば、彼女の全く無駄のない何やら超人めいた動きから、暴力という野蛮な二語は浮かんでこなかったというより他にない。

 叔母は手と腕を巧みに使って叩いたのだが、体幹が微動だにしなかった。それが少女により恐怖を感じさせた。普段は感じさせないが、こうやって見下ろされるとさすがに女性らしからぬ強靭な肉体を服の上からも感じさせる。さすがに、学生時代はテニスで鍛えただけはあると、生涯を通じてスポーツには縁がなかった姉はのんきにもそんなことを考えている。

 この歌手は、さきほどの動きをテニスに似ているなどと考えているのだ。もしも、娘がそれを知ったら何か救われるところがあるだろうか?罪悪感からはいくらか救われるかもしれないが、もう一度刃を向けてくるに決まっている。

 さて、少女は真夏だというのにがたがたと全身を震わせていた。叔母は相変わらず姪を睨み下ろし続けている。しかし、全く近づいては来ないにもかかわらず少女は逃げようとしていた。だが、手足が強張ってまともに主人の命令に服従しようとしてくれない。命の危険すら感じていた。だが、一度は自分を親殺しと見下げ果てたはずではないか、罪に罰というわけで素直に殺されるべきではないのか。

 恐怖というものは伝染するらしい。

 親友は怯えている少女を見ているうちに自分がそうされているように感じてしまったのである。それには、彼女に対してのある意味友情を超えるきもちが関係していた。ほとんど何も考える暇もなく彼女は自分の身体を宙に浮かしていた。そして、床に横たわる少女の身体を自分の体で覆ったのである。

 

 叔母は黙ったまま後悔していた。

 しかし、一方では、この場では精神科医ではない彼女にしてみれば、唯一の肉親に対する情愛の表現方法だった、ということができるだろう。それに自分がこのような行動に出た結果、少女の親友は自分の素直な気持ちを吐露することに成功した。

 だが、それはあくまでも結果論にすぎない。

 もうひとついえば、少女は黙ってそれらを受け止めるような人間ではないことだろう。かえって重荷になってしまったかもしれない、いや、そうなったのであろう。叔母は、第二の爆発を危惧した。ほどなく、それは起こるであろう。

 その一方で、この状態を生み出した元凶といえる姉は何をやっているのか、まるでこの状況はすべて舞台の稽古であって、自分たち三人は女優で、彼女はこの場をすべて統括する監督、というようではないか。

 彼女のそうした上から目線は今に始まったことではない。この場においては一番、過ごした年月が長い妹にからすれば、ごく当たり前の、まるで着慣れた肌着のようなものだ。しかし、彼女はそれに対する対処法はそれなりにマスターしているし、そうなる過程においては、今度のような感情爆発は何度も経験していることだ。

 目の前の二人の少女からすれば彼女が、自分を見失って激高する場面など想像だにできないかもしれないが、姉からすればそれほど珍しい光景でもない。

 だが、彼女とて平静でいられる状況ではない。まだ傷がうずくというのが理由でもない。ただ、娘の反応をどう受け止めるべきなのか簡単には答えが出ないからだ。感情を表にだすことに慣れていない彼女は、こういう状況に出くわすと周囲から上から目線だと言われるのが、いつものことだ。特に妹にはなんど、そう罵られたかわからない。この綺麗な顔の妹がその言葉を覚えたのはいつのことだろう。感性よりも知性が圧倒的に発達していた彼女だからかなり早かったと思う。姉が十分にその言葉を習得する以前、そう辞書的な意味を知って入ってもその言葉の奥深くまで理解しきれていない状況、受け取る方がそれほど未熟にもかかわらず、発信者は無神経にもその言葉を直球でぶつけてきた。

 状況はいよいよ切迫しているようだ。なんとかしないと、何も動かないだろう。娘もその親友もこの時間に永遠に縛り付けられたままかもしれない。自分が動くべきだろうが、娘が必ずしも自分に対する罪悪感だけで苦しんでいるわけでもないと思うのだ。だが、その確かなことはわからない。いったい、あなたは何を悩んでいるの、一言、それが言えればいいのだろうか?

 

はてなブログ・・・略・・・小説、30日目

 

 

「私が刺したの!私が!!」

 

「・・・・・・・?!」

 

 いったい、少女は何を言っているのだろうか?親友は、まるで共演者のセリフを予告なく変更させられた女優のように立ち尽くした。もはや、質問する言葉はおろか気力すら浮かんでこない。服が料理によって汚されてしまったことなど、まったくあさっての方向に飛び去ってしまっている。味噌汁で強かに濡れてしまって重くなっているはずだが、そんなことは全く気にも留めない。

 

 彼女は確かに言ったのだ、誰かを刺した、と。目的語がないのは日本語として必ずしも失格というわけではない。それが会話文ならなおさらである。しかし、これでは何を言っているのかわからない。相手に対して意味を伝えるという、言葉の第一義すら満足させていない。

 

 いや、それよりも問題なことがある。自分のことだ。親友は驚くべきことにまったく興奮、あるいはテンパっていない自分を発見していた。これほどまでに強い人間ではないことは誰よりも彼女自身が理解していることだ。

 

どうしてこれほどまでに恐るべき現実を目の当たりにして、自分はこれほどまでに冷静でいられるのだろうか?あまりにも非現実的な会話に自分が参加していること自体が信じられない。テレビやネットで出回っているニュースなんてしょせんはフィクションにすぎないと思っている。外国発信はおろか彼女が住んでいる太陽国でも遠い場所で起こったことは物語と同レベルに扱うことにしているほどだ。

 

 そんな彼女を、括目させるような事実が待っているなどと、今の今まで予想だにしなかた。しかしながら、一方で常日頃、少女に、自分に対して隠し事をしているのではないかという疑いに対して明白ではないが、一定の答えを得られたような気がする。

 

 いや、これから明白になるのだが、べつに少女は親友の精神的衛生について思いをはせてゆっくり告白しているわけではない。あるいは思いきりがよくないわけでもない。自分の中ではすでに事実を打ち明けているつもりなのだから、事実を知っている叔母や、そして、母親に代弁してもらおうなどと、甘えたことを考えているわけでもない。

 

 だが、もう一言が続けられないのである。喉がからからに乾いて舌がうまく動かない。もはや、言葉を発する機能が完全に失われてしまったのだろうか。

 

 モンシロチョウが窓の上部にぴらぴらとやっているのが見えた。それがうまく彼女の背中を押した。

 

 少女は言ったのである、自分は人殺しだと、母親を刺したのだと。

 

 彼女が動転していたことを示すのに、その言葉がおかしいことに気づくのにかなりの時間を要したこと以上の証拠はないだろう。

 

 なんといっても、少女が刺殺したという母親は、自分の目の前でぴんぴんとしているのだ。しかし、彼女が嘘を言っているとはとうてい思えない。もしもそうならば彼女は名女優だろう。まさに迫真の演技というよりほかにない。

 

 食べ物による汚れや割れた食器によって受けた手首の傷を意に介すことなく、床に伏して泣き叫ぶ、その姿は一つの単語を親友の脳裏に浮かばせた。

 

 さすがに医師としての本能からか、赤い液体に敏感に反応した叔母は彼女の名前を呼びながら押さえつける。

 

 そんな、常人ならば数秒とて正視できない状況を目の当たりにされても、やはり、彼女は浮かんだ言葉を否定せざるをえなかった。

 

 彼女は自分が何事か叫んでいるのに気付いた。それは少女の名前だったかもしれないし、自分は二人称を何が合っても好きだというような文章だったかもしれない。とにかく、科彼女自身も少女よろしく正気を失っていたらしいことは確かだ。彼女は記憶をある時間、完全に失っていたのである。

 

 

 

 人間とは得てして、自分以外の人間が自分よりも激しく正気を失うと急激に正気を取り戻し、かつ、自分を取り戻す、そういった大変にはた迷惑なタイプの人種がいる。少女はまさにそれにカテゴライズされる。

 

 親友は確かにこういったのだ、自分のファーストネームを叫んだ後に、自分のことが好きだと、何があってもそれは変わらないと。

 

 いつの時代、洋の東西を問わずに恋愛詩に歌われていそうな軽い言葉だが、いざ、親友がこの状況で言うと鉄の説得力を持った。

 

 それが少女に自分を取り戻させた。

 

 それでも独り言のように言葉を繰り返す。

 

「私はママを殺したの」

 

「あなたが殺したのがママでも私でもなんでもいい!あなたが好きなのよ、それはあなた自身にすら変えさせる権利を与えない!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はてなブログ・・・略・・・小説、28日目。

だが、しかし、親友とて少女を本気で殴ろうと思ったわけではない。

そういう気持ちと裏腹に勝手に身体が動いていた。ほとんど不可抗力で彼女の整った顔に肘を炸裂させていた。俗にいうところのエルボーである。それはプロレスの技らしいことはふたりとも知っていたが、あいにくとそのスポーツに関しては詳しい知識を持ち合わせていなかった。

だが、テレビを長いこと見ていれば脳内にプロレスに関する映像は長期記憶としてかなり記録されているにちがいない。それが親友の目の前に展開しているのは、自己が犯した罪を無意識的に消去しようという腹があったせいだろうか。

だが、過去の記憶からの薄い引用は、目の前のリアルと勝負できるほど力強くはない。少女は、かつては整いすぎた鼻梁から血を流しつつ倒れるところであった。これらの映像はすべてスローモーションで展開した。

 

 少女の名前を呼んで、何とか介抱しようとする。

 

 はたして、少女の母親と叔母を引き寄せたのは、彼女の悲鳴のせいか、それとも彼女にけがを負わせた加害者の罪悪感が発せさせた声のせいだろうか。

 

 とにかく、二人はどちらかに驚いて客間にやってきたのである。

 

 この家の朝は早い。午前六時の段階ですでに朝餉の匂いが家じゅうに行き届くことになる。ドアが開いたとたんに親友の鼻孔に味噌汁の匂いが侵入してきた。おそらく、少女がこの部屋に入ってからまもなく、彼女の母親かその叔母かのどちらかが、料理をはじめたのだろう。よくドラマで見かけるようなまな板を叩く包丁の音が聞こえなかったのは、家が広いせいか、匂いの方が空間に充満する能力は高いのだろう。

「いったい、あんたたち何をしてるの?小学生じゃあるまいし」

幼いころから二人を知っている少女の母と叔母は、過去と現在の映像を重ねてみていた。

「朝ごはんができましたよ、二人とも」

母親は、努めて目の前で起こっていることを知覚の段階までもっていかないようにした。

 

二人とも大変に気まずい様子でそれぞれ宛がわれた食事に箸を伸ばす。少女の家では最近ではめずらしく朝から米がでてくる。毎日ではさすがに遠慮したいところだが、たまにならばこれもまたいい、という気分にはなる。その日の朝は今年になって最も米の飯を噛みたい心持だった。

しかしながら、むっつりと隣で咀嚼している少女を耳の部分に発生させた目で見るにつけて、気分通りに気持ち良く食べるわけにもいかず、または、演技ながらもいやいや食むのは作ってくれた人に失礼な気もする。

そういったわけで、親友は完全なるジレンマに陥っていた。だが、心理学の本で齧ったこの概念がまさに自分が置かれている状態と合致するなと、納得するくらいに余裕はあった。しかし、この状況が長く続くのはさすがに耐えられない。

「卵、おいしいですね、まるで旅館で食べるみたいに新鮮な気がします」

「うちでは鶏を飼ってるのよ、それも高級なのを、そこらの旅館と同じようにみてほしくないわ」と少女はそっけない。

「何言っているのよ、近所のおじいさんが早朝に売りに来るのよ」

 そもそも鶏が鳴く声を親友は聞いていない。すぐにばれる嘘をどうしてつくのか、突っ込みたくなったが、この場の空気を案じてやめておく。

 しかし、全く平和な空気で醸し出されている家庭だ。何かが欠損しているが、それが、親友が危惧するようなことなのだろうか?明らかにこの家で何が起こったのだ。この前に呼ばれたときとはどことなく漂っている空気が違うのだ。それは主に少女とその母親との間に流れているような気がする。お互いに何か遠慮しているような気がする。

少女がそれを自分に打ち明けないのは、離別を突き付けられたように思われた。その絶望が今度のような結果となった。

深刻な思考は母親の押し物された笑い声によって打ち切りとなった。

彼女は自分の娘の顔を見て笑っているのだ。

「ちょっと、自分の娘の顔が傷つけられて笑う母親ってどこにいるの?それに・・・・」少女は親友の名前をきつく呼び捨て、「あんたが笑う権利がどこにあるのかしら?」ちゃんとした文章に入ると不気味なまでに冷静に口調が戻った。

親友はべつに笑ったわけではない。少女の母親が噴出したのをみて誘われただけである。

いま、彼女の整った鼻には絆創膏が二枚張られている。ちょうどバツ印のようになっていて、当初から周囲の笑いを誘った。なんと、実母は側に医師国家試験を通った人間が側にいるにもかかわらず、自ら娘の治療に当たった。といっても、たがだが絆創膏を貼っただけにすぎないが。

「けが人が出た場合、医師がいるにもかかわらず医療行為をしたものは太陽国の刑法によって罰されって知らなかったか、姉さん」思わず、少女の叔母はそういわざるを得なかった。そうしないと吹き出すのを我慢できなかったであろう。彼女にしてみればでたらめの法律をでっち上げてでも、この場の空気を何とかしたかった、というか、自分が仕掛けた爆弾で壊れてしまうのが怖かった。

彼女からすると、自分の姪は叔母馬鹿と謗りを受けようが、彼女とその親友は、彼女らの年齢からすると際だって知性的で明晰な思考力を持っている。それをうまく使えればいいのだが、互い違いになってしまっている。どうしたものかと思う。ここで自分が年上面して何を言っても逆効果になってしまうだろう。

 はたして姪の親友は何に気づいているだろう。彼女が何事かに気づいていることは、精神科医の直観として間違いない。

はてなブログ・・・略・・・小説、27日目。

 「私が自分を偽っている?」

 思わず言葉が漏れたが、少女の親友はべつに彼女の叔母に対して言葉をぶつけようとしたわけではない。自分に対して発し、その意味を反芻してみただけにすぎない。何回かその言葉を噛んでいるうちに、疑問が生じた。それを返してみようと思うころには、叔母は姿を消していた。

 客間と称せられるだけにその部屋は豪華な造りだった。

 少女の家だけあって他の部屋も驚くばかりに壮麗なのだが、その部屋は群を抜いていた。それほど広い部屋ではないが、調度や置かれている、大陸のものと思われる陶器の食器や彫像などを鑑みるに、まるでちょっとした東洋美術専門の美術館に迷い込んだようだ。それが純粋な西欧式のたたずまいとうまい具合に同居している。それがこの部屋を作った人の趣味の高さを、高校生にすぎない彼女にも自然と見て取れた。

 だが、疲れている脳は睡眠を要求した。普段ならば見とれる対象であっても彼女の魂を引きつけてはいられなかった。

「私が自分を偽っている。何をだろう・・・・?!」

 鏡に映っている顔が他人のそれに見えてきた。自分の、親からもらった顔はこれほどまでに端正だったであろうか?そんな発想が浮かぶ自分を恥じた。かなり重症らしい。自己批判することで正常な精神状態に帰還した途端に、ご丁寧に、鏡台に付属する椅子に座ると歯磨き用の道具、一式が置かれていることに気づいた。ほぼ本能でそれを手にすると、記憶に刷り込まれた見取り図に従って、洗面室に向かって重たい身体をようやく動かす。

 だが、自分の思う通りに神経や筋肉が働いてくれない。意識が遠のく。こんなところで倒れたら季節的にまだ温かいとはいえ風邪をひく。いくら自分が自分の母親に成り代わって言い聞かせても無駄だった。

 頭の中で国歌が流れる。公営放送が終わるときに、彼女はたまにだがテレビの相手を

深夜まで務めることがあった、国旗ともに流れるのがその音楽だった。そして、砂嵐が招聘される。

 

「こんなところで何をしてるの?ひどい寝相ね」

 どこからか少女の声が降ってきた。学校内でもっとも親しい彼女に対してさえ、神経質で整理整頓が得意なA型的性格、という認識を植え付けていたために、このみっともない姿を晒したのはショックだった。そのために開口一番に飛び出た言葉は完全に理性を破壊していた。

「ケイタイで撮ったでしょ、メモリから消去してよ」

 そういう風に言わせた根拠が少女にあると言わんばかりに、眠い目をこすりながら立ち上がった。ついでに高価そうな時計を眺めるとまだ午前六時を回ったばかりだった。

 「いや撮ったわよ、はやく消しなさいよ」

 手短にあった豪華なフリルつきの枕を投げつける。たまたま、少女が携帯を弄っていたことが親友の心に生まれた疑惑を強めた。だが、その一方で自分が投げやりになっていることにも気づいていたのである。あれほど自分を拒絶したくせに一晩寝たくらいで友好的な態度をとれるのか、少女を視界から抹殺するためにそのような愚行にあえて手を染めたのである。

 彼女は自分を拒絶した。

 その一言が耳に引っかかる。自分で勝手に妄想したことにもかかわらず、少女の声で言葉が外耳道で増幅されるのだからたまったものではない。

 少女は普段はおとなしい彼女が感情を爆発させたことに、それほどショックを受けていなかった。このようなことは定期的に起こることだった。仮に、普段ともに弁当を広げている子たちがこの場にいたら、おそらくその時はけっしてこのような事態に陥っていないことは彼女の自尊心の高さから明らかであるが、その友人たちは凍り付いて二の句が継げなくなっているにちがいない。

 少女はこうしたときにどう対処したらいいのかわきまえているはずだが、今回ばかりは勝手が違うのでただ、親友の、感情の露出に付き合うことでしか自分の真心を表現できるすべはなかった。

 やはりこれまでと違う。

 親友は枕のつぎに投げるべき凶器を探している。まずい、この客間にある、たいていのものは間違っても子供の小遣いで賄えるようなものではないのだ。それは普通の高校生とは少しばかり違う金銭感覚の持ち主である彼女であっても、例外ではない。

 とっさの判断で親友に摑みかかる。

 しかしながら、少女の方に弱みがあるので防御行動が完璧にはいかなかった。その間隙をついて親友は手当たり次第、凶器を投げ出した。枕の次が単なる大量生産品のスリッパだったことは幸いした。この部屋に相応しくない取り合わせだが、おそらくは叔母の趣味だろうと思った。間違っても母親ならばこんなことはしない。

 激しく身体を動かしているときでも、これほどまでに思考を重ねられるのかと少女は不思議に思った。しかし、そのようなことはどうでもいい。第三の攻撃を防がねばとすでに親友の両腕をそれぞれの手で摑んでいる。しかしながら、彼女は阿修羅ではないので、防御と攻撃を同時にできるはずがない。

 だが、相手側から飛んできた心理的攻撃のために思わず防御の手すらゆるめてしまった。

「あなたは私を拒絶したのよ」