はてなブログ・・・略・・・小説、26日目。

 少女の叔母が言ったことを彼女の親友は理解できなかった。その言いようは論理が逆さまですらない。何となれば、自分を拒否したのは少女の方ではなかったのか。彼女がハサミで切り落としたはずの紐を親友は惨めにも自らくっ付けに戻ったのだ。

 叔母がワイングラスを置く際に生じた音とか、どうでもいいことが彼女の耳の中で増幅されるのはどうしたことだろう。妖精たちが、この段階では彼女が考えつめないように妨害しているのだが、彼女はあいにくとそんなことに気づくほど年齢を重ねていなかった。

 そういう様子をまるで自分の患者を診るように、少女の叔母が見えない触手を伸ばしたのは、ほろ酔い程度に彼女の脳がアルコールによって浸食されつつあったからだろう。そもそも、患者と見定めない相手をそのような目でみることは慎むべきことである。身内の親友が相手なればそれは当然のことであろう。血縁者を診ないことが精神分析医にとって常識ならば、その親友はさしずめ、いとこ、ということができるだろうか。

 親友は自分でも気づかないうちに立ち上がると、両手を強く握りしめていた。さほど長くもしていない爪が手のひらに食い込んで赤くなっているどころか、血が滲んでいた。

 まるで人を刺してから、自分がやったことの重大性に気づく殺人犯のように自分が思われた。すると、自分はいったい誰を殺したというのだろう?それは擬人化されたなにものか、かもしれない。それを具体的に表象することは彼女にはできなかった。もしもしていればにこやかに笑っている少女以外のどんなものも造形できなかっただろう。そして、それを実行していたら、彼女こそ自分の身体から逃走を図っていたにちがいない。

 

それを見抜いてしまったからこそ、少女の叔母は何とか助け舟を出そうと、ワイングラスを置いたのである。橋にかかっている時計をみるとすでに針は午前1時半を回ろうとしていた。彼女を落ち着かせるのに、その通りのことを言うのは火に油を注ぐも当然の愚行にちがいない。だからといって、もっと混乱しろと咳かすわけにもいかない。

 専門家としては彼女から何事か引き出すためには、座ってもらうことを何よりも望んだ。軽く手を振るなどして無言で促してみるが、全く無反応だ。今日のところはこれ以上踏み込むべきではない、などとまるでクライアントを相手にしているような考えをしているところをみると、まだアルコールが抜けきっていないらしい。

 気が付くと、精神科医として、または大人としてごく常識通りの行動に出ていた。

 「もう寝た方がいい。客室に案内しよう」

「おばさんは精神科のお医者さんですよね、あの子はいったいどうしちゃったとみてるんですか?」

 「身内は診ないのが精神科医の、いわば、憲法みたいなものでね」

「精神科医と患者の恋もご法度なんですね」

「よく知ってるね」

 客室に誘うためにドアを開けた叔母は、姪の親友の顔を眺めていた。彼女はそっと目を伏せて、まるで婚礼の席で新郎を前にした新婦のような白い顔をしている。何か言いたげなのだが言葉が見つからずに困っているわけではない。あえて、そういうふりをしているだけ、という感じがする。

 叔母はすでにドアノブを右手にかけつつ振り返っている、この不自然な姿勢を何時間も続けてもいいような気がしてきた。この情景をいくら眺めても飽きないような気さえしてくる。あの唇が動くと、すでに何度もその声を聴いていながら、どんな声が迸るのか知らないように思える。

 あらゆる時間から切り離されて彼女と自分が占める狭い空間だけが孤立している。無限とも思える時間が過ぎたのちに彼女の質問を思い出した。

「先ほどの質問だが、あの子がどうしてあのようなことを言ったのか、少なくとも私は知っている」

 自分で言いながらそれが答えにならないことはわかっていたが、無意識に自分の身体に任せてそいつに言葉を任せることにした。

「それは・・・・彼女から直接、訊きたいと思っています。彼女の口から直接・・・」

まるでそういう回答があることを、あらかじめ叔母は知っていたような気がする。たしかにそれがベストなのだろう。この子ならば、彼女が背負っている重荷を、肩代わりはできないが軽くしてやることぐらいはできるだろう。

 まるで執事のように開いたドアの前を彼女が通るのを眺める。まるで幽霊が素通りするゆうに足が動いていないようだ、そもそも幽霊に足などあるはずはないのだが、動かない足ならばあってもいいとも思う。何か声をかけないといけないような気がした。時間を超越した視点からすれば、ここで何かをアドバイス的なことをする予定があるはずだ。

 このままではいけないと思うが言葉が浮かばない。彼女を患者だと仮定すれば、精神科医として言葉を失うということは職業倫理上許されないはずだ。だが、そう自分に対して強く言い聞かせてもなかなか反応してくれそうにない。

 無言のまま廊下の奥にある客室のドアノブを捻っていた。

 照明のスイッチを押すと、空気を乾燥させるような音が響き渡った。それが言うべき言葉を思い出させてくれた。

「君は自分を偽っているだろう?そんな人が何を言っても説得力がないと思うぞ」

 姪の親友はただきょとんと黒目がちな瞳を揺らしているだけだった。それを置いたままにして部屋を後にした。何の作為があったわけでもない。

 

はてなブログ・・・略・・・小説、25日目。

 

 

 

 話が複雑になるからと気を使って、少女の自宅から50mほど距離のあるところに娘を吐き出して帰って行った。もちろん、携帯という文明の利器によってあらかじめ、真夜中という時間帯にも関わらず他人の家を訪問する非常識を乗り越えることができた。

 

 たまたま、玄関の照明が壊れる、というよりはその一歩手前だったのでかなり暗くなっていた。そのせいもあって、少女が呼び鈴に反応してでてきたのだと思った。

 

「やあ来てくれたのか」

 

「え?!」

 

 血縁者あって声もかなり似ているので、まさに少女の叔母を彼女だと誤解してしまったのだ。だが、口調の違いからすぐに自分の間違えに気づいた。携帯で連絡を取り合ったのは10分前だがその後眠いからと自室に籠ってしまった。

 

 居間に招きられながら、彼女は言った。

 

「叩き起そうかい?」

 

 親友は、彼女も疲れているだろうからと気を使ってみた。しかし、一瞬でそれが嘘だと見抜いた。少女は自分を怖がっているのだろうか?違うだろう、自分を何かに見立ててそれを怖がっているのだ。だから、自分を拒絶しておきながら実際は別のものを忌避しようとている。そう考え終わってから、そんな自分を勝手だと一蹴するくらいの理性は残っていた。

 

 居間に置かれている大型テレビには親友が驚くような映像が映っていた。

 

 少しばかり薄茶けた様子から、おそらく前年号の時代だと推定される。深夜にはこのような作品が放映されているとはいつもながら寝具の友人となっているはずの時間帯なので、予想外だった。

 

 テレビのなかでは、時代遅れのロックバンドのメンバーがしていそうな濃い化粧に身をやつした少女が紫煙を燻らせていた。髪の色が黒ではないのは、通学路や電車のなかで見かける高校生の中にもそういう連中が普通にいるので違和感はない。が、しかし、まるで古代の女王か、歌舞伎役者のような眼のふちを隈取りは滑稽としかいいようがない。見ようによってはパンダ以外の何物にもでもない。

 

「君らの母親の世代よりも上だよ、このDVD

 

 深夜番組だと思ったら、そうではなかった。

 

「すごい化粧ですね」

 

 何かの精神病ですか、という言葉を呑み込んだ。

 

「いきなりあの子がこんな恰好してあらわれたら、どう思う?友人、やめたくなるだろ」

 

 友人をやめるという言い方に親友は反応した。少女の叔母はそれを見逃さなかった。

 

「・・・・・・・」

 

 テレビの女の子は料理が乗ったテーブルをひっくり返して、母親に対して悪態をついている。どうみても少女に似ていないのに、何処か全く違うように思えた。

 

「これって、ちゃぶ台返しって言うんですよね、前の年号の時代にお父さんがやるものだと聞いていますが」

 

 苦笑しながら叔母は言った。その手にはグラスが握られ、中には赤く透明な液体が揺れている。

 

「前の年号といっても長いからな、少なくとも姉さんや私の時代には一般的には行われていなかったはず。君のおじいさんたちでも、わからないな」

 

 前年号の末期に青春時代を送った彼女にしてみれば、反論のひとつもしてみたかったのかもしれない。

 

 映像の中では、少女は酒瓶に手を伸ばしていた。まるで旧世紀のおやじのように一升瓶の口につけている。すでに死後となっているがラッパ飲みと呼ぶことを、本好きな親友は知っていた。

 

 とても不思議な気分になってきた。

 

 少女の叔母がワイングラスに赤い液体を揺らしている。それも相まって、まるで自分までもがお酒を飲んでいる気分になってきたのだ。

 

「とりあえず、座りなさい。何を立ちんぼをやってるんだ?」

 

 この女性精神科医は、文学的な意味を持つその単語をどのような意味合いで使っているのだろうか?このような思考をすること自体がすでに空気に酔いだしていることを意味する。テレビ画面と実体たる、少女の叔母の両面に挟まれて彼女は自分の血管にアルコールが流れているような気がしてきた。

 

 誘われてソファに身を沈めると頭がくらくらしてきた。テレビの少女は顔を真っ赤にして暴れている。それを直視できずに父親は片手で顔を覆っているが、さすがに見ずにはいられないのか、指と指の間に腐った卵のような眼が震えている。きっと、自分の顔を鏡で見せられている気分なのだろうと、親友は何の根拠もなくそういうことを思った。

 

 息詰まる展開についていけず、何か口にしなくてはいけないと思い立った。

 

「こういうのがお好きなんですか?」

 

 「姉の趣味さ」

 

  短く答えた叔母は空っぽになったワイングラスをそっと置いた。そのしぐさが貴族的で優美であり、なぜか少女を彷彿とさせて面白く思った。しかし、何を言葉にすればいいのだろう。ワインのボトルにそんなことは書いてあろうはずがないのだが、横文字に目を走らせる。見たこともないアルファベッドの並びは彼女が唯一なじみのある外国語である、リヴァプール語ではないだろう。

 

 古びた文字の様子からかなりの年代物だと推定できた、すぐにそれが正解だと1979という年号から見て取れた。そのようなものには見るものの魂にアルコールを流し込む作用があるのだろうか、単なる視覚効果も手伝って酔い出したが、とっさに耳に入った叔母の声が彼女を現実に呼び戻した。

 

 「あの子は逃げ出したよ」

 

「え?!」

 

 いきなり核心をつかれたような気がした。さすがに精神科医だと口からこぼれる文字に気を付けるべきだと思い立った。

 

頭に浮かんだイメージは中世エウロペによくみられる受胎告知の絵、告知天使が、あなたは主の子を受胎しました、と報告する内容だが、アルファベッドが規則正しく並んでいたような気がする。しかし、彼女の目の前には漢字やひらがながめちゃくちゃに宙空をさまよっていた。

 

 

 

 

はてなブログ・・・略・・・小説、24日目。

 娘に急かされてUターンをしたものの、何かわけのわからない濁流に巻き込まれてしまった感を否定できないでいる。少女は、彼女にとってとてもいい友人だと思う。幼いころから知っているが、両家は家族ぐるみの付き合いをしてきたといってよい。それにもかかわらず、仮に自分たちが置かれている場所が、現実でなく、架空の、そうホームドラマの撮影所で、自分たちが女優だとすれば、彼女に割り当てられたセリフはこういうものでなければいけないはずだ。

「金輪際、娘とは関わらないでちょうだい」

 もちろん、酩酊状態のあの子の前でそんなことを言えるわけがない。表情にオクビも出すわけにもいかない。そもそも、そういう感情はカケラほどもないつもりだ。ただ、そのように想像してみたにすぎない。

 そもそも娘が母親を刺すなど、彼女の想像の埒外のことだった。常識的から見地からもそうあるべきだし、彼女が知っている少女から想像だにできない行為であるべきだ。だが、マスコミを通じて報じられる物語をかんがみると必ずしも袖にできないとも一方では思う。

 それよりも娘がこれほど感情的になるとは、裏に何かあるにちがいない。たとえ、母親を刺した話が虚構であったとしても、それが成り立つには成り立つなりのプロセスというものが不可欠だから、である。

 それにしても、このふたりはいったい何を苦しんでいるのだろう。

 娘は黙して語ってくれない。こうなると彼女にできることは運転手のやくわりだけ、ということになってしまう。まるで演劇を会場の外から眺めるファンのようだ。門は閉じられてしまってチケットは完売してしまったと嘆くよりほかにできることはない。

 演劇に参加するどころか、それをうかがうことすらできない。自分は完全に部外者なのだ。

 一方、娘、少女の親友からすれば、母親が自動運転用のロボットにしかみえていなかった。それは人形(ひとかた)すら取っていなかった。確実にその時の彼女にとって完全にいない人間だったのである。

 それにも関わらず車は勝手に走っている。外部から見れば確実にシュールな光景だが、内部にいるとなれば自然と見えてくる景色はおのずと性格を異にするだろう。自分は親友のことを何一つわかっていなかった、という思いである。何もかも少女のことならばわかっているつもりだったが、結局、彼女の周囲で軽薄なダンスを踊っている取り巻き立ちとたいして変わらなかったのかもしれない。

 ふいにハンドルを自らの手で摑んでみたくなった。運転席には誰もいないのに、シートは窪んでいる。確かにそこに人がいるのだろう、母親であることを思い出すと人の姿が出現して、彼女がちゃんと車を運転していることがわかった。

 彼女はふいに口を動かした。

「何も話してくれないのね」

「私にもわからないことばかりで・・」

 仮にこれがテレビの安っぽいドラマであって、自分がその役を演じていたとしたらどんなセリフを割り当てられているだろうか、それを脚本家の立場から想像して答えてみた。

 母親は、こう返してきた。

「あなたはあの子の親友なの?」

「うん、そう思う」

 本当に下手な脚本家だ、プロだとはとうてい見なせない。

 ついに本音が口から漏れ出てしまった。これはあきらかに相手が母親だからだ。彼女の母性というオーラが何らかの圧力をかけたにちがいない。

「これって、ドラマで私たちは俳優でうその家族なのかな、私たち」

「何をばかなことを言っているの、これは現実よ、まったくしっかりしてもらわないと、あなたたち、高校生でしょ」

 そういうごく普通の母親から出てくる言葉がありがたかった。きっと、少女はこのような当たり前の体験ができていない。彼女の母親はあまりにも特別な存在のために、自ら不自然な殻をかぶってしまって普通の親のように接することができないのだ。

「思うんだけどね、あそこの母子は、あんたが言うとおりに互いに演技しているようにみえるかもしれないねえ」

 なんていうことだろう、このごく普通の、どこにでもいるような母親がことの本質をものの見事に洞察しきっていた。すくなくとも娘はそう見なしている。

 また、運転席から人の姿が消えた。

 なぜかほっとして、虚空を睨み付ける。

 明らかに、少女は自分に対して惜別の詩をメッセージとして送ってきたのだ。そんなことは絶対に許せない。いつのまにか、彼女は少女の命の危険に対する危惧よりも自分の怒りを優先させていた。

 窓から外を臨むと、いつも見慣れているはずの風景、少女の家に向かう道から見上げるかたちで向かい入れるコンクリートの塊、それは小高い丘とでも表現するべき山頂に鎮座している、ふたりは小さいころから古城と勝手に名づけていた、実際は、趣からそんなことはありえず戦前の構築物だということのみがわかっている、それは普段とはまったく違った様子で迫ってくる。真夜中なので近くにある街灯によってライトアップされるかたちになるが、まるでテレビゲームの中の安っぽい悪役が巣食っていそうな悪の城に見えたのである。

 彼女は思わず吹いた。

 母親は、ころころと変転する娘の様子にどう対応していいのかわからず、とりあえず、これから向かう有名歌手の家に答えを求めようとしていた。

 普段から、彼女を好いていながら非常識な側面があると思っていたが、車内に蛍光するデジタル時計は、現在の時間が午前12:08だと告げていた。いったい、どちらが非常識なのか、しかし、あえてそのことを考えまいとした。

 

 

 

 

はてなブログ・・・略・・・小説、23日目。

 刃物を使って少女が実母を刺したという。

 ところが、被害者である、その張本人がぴんぴんな様子で警察署に罷り出たので事件になりようがなかった。もちろん、少女は厳重注意を受けたが、学校で行われる叱責と違ってべつに罰を受けるわけでもないので、あくまでも形式上の儀式に則ればいいにすぎなかった。学校名は知らせたが、個人情報なので、他者へはもちろん学校側にも知らせないと約束してくれた。しかし、担当である女性警察官が繰り出してきた質問が契機となって、少女たちをたとえ一時的にせよ精神的に追い詰めるとはその場の人間は誰も想像しなかったであろう。

「あなた、何組ですか?」

 それはあたかも警官が学校関係者であるかのような言い方であった。

 どうしてそんなことを聞くのかと、訝しく思ったが、学校名を知らせていることはすでにあさっての方向に投げやって、少女は自分が所属するクラスを告げた。その結果、警官の口から迸った氏名に二人は驚きを隠せなかった。

 その人物は少女のクラス担任で、美術教師だった。音楽コースである親友といえども美術を履修しないわけではない故もあって、その顔と名前は海馬に刻まれている。

「驚く必要はない。個人情報を他者へ知らせるわけにはいかない。たとえ夫であってもね」

 その事実は二重に二人を驚かせた。そういえば、担任は、自分の細君が警官だと漏らしたことがあった。めったに自分のプライベートを明かすような人間ではなかったので、よくよく印象に残ったとみえる。

 この現実が、誰かが書いている小説なのかわからないが、その発言が伏線だったらしい。もしも、親友の想像が本当ならばなんと意地悪な小説書きだろう。そんなくだらない事実との邂逅は、この緊張すべき状況をいくらかでも和らげてくれたが、息せき切った足音が彼女を緊張の枠内に戻らせた。

 親友を娘と呼んだ声は、女性のそれだった。

 幼馴染である少女にとってもなじみの人物である。母親たちも互いに同様だった。

 警官は親友の家族とも、ほとんど儀式と化した仕事を終えると待合室をあとにした。

 問題は、彼女が両家のうち、どちらの車上の人間になるか、ということに移っていた。彼女にしてみれば後ろ髪をひかれる思いだった。このまま少女と別れたらもう永遠に出会えないように思えた。月曜日になればいやでも対面することになる。このまま帰宅して彼女のいやな予感どおりになるとでもいうのだろうか?

 彼女が想像のなかで預言書を開くと、そこには、一枚の版画が目に飛び込んできた。ちなみに、すでに彼女は母親が運転する車の助手席を占めていた。フロントガラスに映った情景は古びた本の一ページだったが、少女が母親を刺す映像の再演だったのである。

 そうはいうものの、彼女がその現場に居合わせたわけではないから、あくまでも最初の上演も、親友の想像にすぎないわけだが、もはや、気がふれているとすら形容可能な少女が発した一言から、それが事実であると思い込んでしまった結果である。親友の理性は打消しにかかったが、もしかしたら、あれは自分に対する何等かのメッセージではないか、彼女はその文字から自分に対する、いやそれだけではない。学校も含めて俗世、すべてへの訣別に思われてならなかった。

「お母さん、引き返して、お願いだからあの子の家に戻って!」

 ものすごい剣幕だったので、それに今の今まで助手席で寝息を立てていると思った娘が突如として大声を出したので、自分の予想との落差があまりに大きすぎたので落雷を直撃したかのような衝撃を受けた。

 その結果、急ブレーキをかける結果となった。もしも、すぐ背後に車が追いかけていたとしても、その陰を認識しきれたのか怪しい。彼女たちが追突されずに済んだのはほぼ偶然と言っても過言ではない。

 しかし、彼女が怒鳴らなければ、切だった崖から落ちるところだったのである。ヘッドライトの光力をもってしても崖の底を照らすことはできなかった。しかし、それゆえに深淵の度合いを臨む人に、よけいに感じさせる結果となった。そのことが、母親に娘の要求を呑む理由となったのかもしれない。

 結果としてUターンして少女の家を車は目指すことになった。

 

はてなブログ・・・略・・・小説、22日目。

 どうしてあんなことを言ってしまったのだろう?誰もそれを歓迎しないはずなのに。

 少女は、心のモニターにそう入力してみた。できるだけ傍らにいる親友の秋波を感じないようにする。吐息がうなじにかかってしまう距離である。たとえ触れていなくても背中に彼女の意思を強く感じる。

 ただ、親友にわかってほしかっただけなのか?

 それとも真に自分の罪を償うつもりがあるのか?

 後者ならば、おそらくこのパトカーの目的地で待っているであろう、母たちを目の前にして自首すべきだろう。

 前者ならば、その動機のいい加減さは、もたらす結果を考えていないと非難されても誰にも反論ができない。

 窓の外に女子高生らしい姿を見ないのが救いだ。ふつうの少女はなおのこと、少女たちが通うような私立のお嬢様学校でも例外ではない。この時刻だと町に繰り出していないというのは過去のはなし、おそらくそこにたまたまいないのか、パトカーを警戒して隠れているにちがいない。

 それらの目、目が急激に怖くなってきた。いざとなって外聞を恐れ始めたらしい。自分という人間が支離滅裂なことが判明してしまった。なんとなれば、あのようなバカな発言が精神病や、熱情に浮かされた結果ではないのである。

 ネオンサインが増えるごとに外からの情報が増えてくる。それが恐ろしい。少女を自分が作り上げた虚構の世界から現実に引き戻しにかかってくるからだ。自分の母親が有名人であることも今更ながらに思い起こされる。

 自分が何を犯したとしても、それ以前と同じように自分のことを見てほしい、そういう保障がほしかったのだ。警察の暴力的な白と黒が視界に入ったとたんに、幼稚園児がおもらしをするように、口から言葉が迸ってしまった。しかし、感情的にではなく、この場を利用して、という計算があった。

 少女は子供のときにそのような計算の元におもらしをしてしまったことがある。言うまでもなく、母親の愛情がほしかったのである。しかし、彼女の行為は母親を五線譜から取り戻すことができなかった。まだ中学生に上がったばかりだった叔母の手を煩わせたにすぎない。

 あの事件の後に、少女には内緒で叔母とそのフィアンセは、母親を叔父がやっている個人外科医院に連れて行った。腹膜炎が心配だというのが後から叔母から聞かされた話だ。思わず涙が流れた。叔母は、外科医になることを家族から期待されたにもかかわらず、勝手に精神科を選んだばかりか、ドレスデンへの留学も勝手に決めてしまった。そのことで勘当同様の扱いを受けて、母以外の血族とのつながりを断っていた。まさに世間で言うところの医師一家、であった。

 叔母の口調からわかることは、特に叔父に対してコンプレクスを抱いているようだった。そんな相手に対して頭を下げに行くのである。あの飄々たる叔母とはいえ、まったく精神的な障壁がなかったはずがない。

 それらのことを総合して考えていくと、自分がとんでもないことをしでかしてしまったのだと改めて認識させられる。

 パトカーが事故でも起こしてくれないかと、ひそかに願うがすいすいと、渋滞などあさっての方向に飛び去った道路を走っていく。さすがに人を轢いてほしいとまでは思わなかった自分を少女は褒めたくなった。

 そんなことを考えているうちに車は警察署に入っていく。あたかも、少女にとってみれば、一旦潜れば永遠に出ることが叶わない地獄の門のように思われた。

 

 

 

はてなブログ・・・略・・・小説、21日目。

 

 

 パトカーが町に入ってネオンサインが月ほどの大きさになって目に入ってくると、必要以上に効いている冷房のせいもあるのか、親友自分の心の温度が下がっていくのを感じた。事の重大性に気付き始めたのである。少女の母親は有名芸能人である。年齢が年齢だけに女子高生が見るようなテレビに出演することは少ないが、彼女らであってもその名を訊けば頷くであろう。一度だけ、かつてクラスにファンという子がいて、少女が似ていると騒ぎ立てたことがあるが、巧妙な手段でごまかした。とはいえ、今回の事件で、親友の認識ではすでに少女が母親を刺したことは紛れもない事実になっていることに注意、マスコミに露見すれば二人があれほど酷似していることは、女子高生に目にも届くであろう。

 

 二年次となって音楽コースに所属する親友はべつのクラスであって、そのような事態になっても対応のしようがない。

 

 それ以前に事件が明らかになれば学校にいられないであろう。高校生には死刑判決以外の何物でもない、退学の二文字がパトカーのフロントガラスに映し出された。しかし、傍らに座っている彼女は完全に何処かの世界に魂を飛ばしている。

 

 この車が行きつき先は自分たちの破滅だと夢にも思っていない目だ。半眼といえばずいぶんと宗教的な表現になるが、要するに瞼があまりにも重くて開けていられないのだ。小突いて無理やりでも現実と立ち向かわせたい。

 

 だが、前にいる二人の警官の威容が、親友を微動だにさせない。銀色の手錠が、むろん、そんなものは嵌められていない、単なる被害妄想だが恐怖に戦いている彼女の両手から鉄の輪っかが自由を奪い、じっさいに、重量感も感じているのである、それが彼女の自由を奪って、よもやそんな行動に出させることを不可能にしている。

 

 彼女の精神が再び混乱と発熱の極みにあるときに、パトカーが向かっている警察署では、すでに少女の母親と叔母が待機している。

 

叔母は姉の健康に不安をそれほど感じていなかったが、著名人である彼女にすでに忍び寄るマスコミの影を危惧していた。それを指摘しようと思ったら、すでに化粧をし始めていた。

 

 これは母親の顔なのだと、妹は思った。

 

「どうして、あの子の前でそういう顔を見せないのよ、姉さん」

 

 無駄だと思って、そのうえ、口に出しても無駄、出すまいとしていたが思わず口にしてしまった。返事から逃げるために自分も部屋にそそくさと急いだ。彼女も女性ゆえに化粧をしなければならない。囁くような声がしたから返事をしたのかもしれない。だが、あえて無視した。きっと、化粧をすることで娘の前に出たときは、彼女が憎む、ママに戻ってしまっているのだろうから。

 

 ほとんど行動は無意識のうちに行われ、いつのまにか助手席に姉を乗せて車を発進させるところだった。

 

「大丈夫?」と半分、義務感からエンジンを入れるまえにそう訊いていた。もちろん、判事は期待していない。予想以外の答えが返ってきた。

 

「できるだけ急いで・・・」

 

 どうやら化粧は母親の顔を隠しきれなかったようだ。これが娘の前に出るまでこのままでいられるだろうか?よしんばコーティングが完成しきらなくても、娘の顔を見たとたんにそれが完成してしまうかもしれない、いや、完成するだろう。

 

 自分にはまだ子供がいないから、自分と母親との関係から類推するしかないが、確かに母と子の間には外部から容易に入れないベールのようなもの掛かっているのだろう。妹、叔母といえどもむやみに破って乱入するわけにはいかない。しかし、両者の関係が完全な膠着関係に至りどうしようもなくなったときにはそれをあながちに否定するものではない。

 

 警察の待合室で姉妹は、血族とその友人を待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

はてなブログ・・・略・・・小説、20日目。

 少女は一体何を言っているのだろう。

 親友はただただ無理やりに押し込まれたパトカーの中で煩悶していた。おそらくは、サイレンは鳴らしていなかったはずだが、凶悪な点滅は目をつむっても残像として彼女の脳に食い込んでくる。彼女の独善的な主観によれば、アラームのようにけたたましいサイレンが耳を劈きながら町を走った。そして、あたかも有名芸能人が麻薬にでも手を出したかのように、マスコミたちがパトカーの周囲に寄り集まってくる。

 そのような映像が、親友が狂人ではなかったので、そのような発想が妄想にすぎないことは理解していた。彼女の自我は、強暴で、かつ兄弟無比な妄想に四方八方から押し物されそうになりながらも、けなげにも健在を保っていた。

 「ママを刺しちゃったの」

 少女の言葉が親友の頭蓋骨を飛び回っている。

 どうして、彼女はあんなことを言ったのだろう。

 言うまでもなく、警官たちは少女の言葉に敏感に反応した。彼女が挙動不審になっていることも彼らの態度に関与したことであろう。ほぼ夜中といっていい時間帯に高校生と思われる少女が町を徘徊している、この事実もあとから思うと重なる悪条件のひとつに数えられたかもしれない。

 警官たちは何を言っても反応しなくなった少女を今ひとりの同僚に保護させておいて、とりあえず、冷静にみえた親友に話を向けた。彼らの目をみた瞬間に、何を言っても無駄だと判断した。だが、彼女の言っていることはめちゃくちゃなのである。

 病み上がりだと聞いたが、すくなくとも、夕食をともにすることができるくらいに元気な母親を目撃したばかりなのである。

「・・・・・・・」

 心の中で少女に恨み節を捧げながらも、親友は必至に抗弁したと思う。だが、パトカーに押し込まれて強制的に移動させられている今、まともな検索機能を彼女の脳に求めるのは不可能というものであろう。

一言二言、二人の警官とやりとりをしたと思う。

 今、思い出すのは携帯を渡そうとしたことである。ちなみに、当時、少女は携帯を持っていなかった。

 それゆえに、親友の携帯で彼女の家族と連絡を取ってもらえば少なくとも、彼女の発言に疑問を持つ、ひとつの材料にはなっただろう。

 しかし、彼女のポケットには携帯が入っていなかった。おそらく、どこかで落としたのだろう。まさに万事休すである。警官たちに弁明する手段はこれで完全に失われてしまった。その結果、パトカーの住人という不名誉な立場に置かれることになったわけである。

 その際に、言うまでもないことだが彼らは、少女たちから氏名や住所、電話番号などを聞き出していた。

 意味不明なことを繰り返していた少女も、そのような簡単な受け答えならばできるようになっていた。

親友が精神的に窮していたことは、べつに難しく考える必要はない。こちらから身分などを明かしてもらえば、警察から連絡を取ってもらうだけでよかった。そんな簡単なことをこの、頭のいい人間が気づかなかった。

そのとき、黒と白の集団が町の治安を守る集団ではなく、単なる暴力集団以外のなにものにも映っていなかった証拠である。

 冷たいシートを尻と背中に感じさせられると、その当然のことに気付かされた。彼女の耳の中だけだがサイレンは禍々しく鳴っていた。はめられてもいない手錠がぎらぎらとネオンサインを反射して輝いていた。すでに警官は少女の母親と連絡しており、そのことを二人に告げていたにもかかわらずだ。巨人の口の中に放り込まれたかのような衝撃を、親友は受けていたにちがいない。警官の言葉は彼女を安心させることはできなかった。ただ、口パクを繰り返しているだけだ。彼らの言葉は彼女の耳には届かない。

 それらの不安は、彼女が危惧すべき本当の問題に対する判断に対して影響を与えた。

 少女は本当に母親を刺したのか?

 病み上がりだと聞いた。その理由を確かめたわけでもない。彼女は、べつに、今日、母親を刺したとは言ったわけではない。彼女が知っている少女の母親はまさに超人とでもいうべき存在である。そういう印象を幼いころから抱いてきた。それが・・・夕食をともにしたときに久しぶりに出会ったのだが、確かにふつうではなかった。顔色が悪かったし、いつもならば饒舌であるにもかかわらず、いささか舌の動きが緩慢だったように見受けられた。

 極端から極端に発想する。それが精神的に混乱する人の思考の常である。少女の口から母親を刺したという言葉を聞いたとき、一顧だにしなかった親友だが、今となっては彼女が本当にその行為を実行したのではないかと、疑いどころか、リアルに映像が浮かんでくるほどに真実となってしまったのである。