ブログ新規立ち上げに際してあいさつ代わりの小説。
少女は海を見ていた。
とりわけ水平線の美しさに惹かれたわけでもない。しかし、足首まで水につかっていることにさえ気づかずに立ち尽くしていた。
寄せては返す波。それが悠久の過去から幾度なく繰り返され、おそらく、彼女が死んでもえんえんと無意味に続けられるのだろう。
ふと思った、自分が生まれる前に世界は存在したのだろうか、そして、自分が死んだ後もほんとうに世界は存在しえるのだろうか?
次の瞬間、足首まで水に漬かっていることにはじめて気付いた。おニューの靴が海水で汚れてしまったことを後悔しはじめた。本来の彼女がようやく起動し始めたのだ。
今の今まで彼女が見舞われていた出来事を思えば、そのくらいの冷感がなければ平静に戻れなかったのかもしれない。しかし、すでにそのときには無意識のうちにへそのところまで海水に漬かっていた。
少なくとも数年前はおニューだった服だ。それを買ってくれた人物は他界してしまった。彼女自身の手で送り込んだのだ。この世界にはいてほしくなかった。気が付くと海の水が真っ赤になっていた。地理の時間に紅海という名前の海があると教師が言っていたような気がする。彼女の記憶の中ではブラジルとフィリピンという二つの大きな大陸に囲まれた狭隘な海峡なのだ。1583年にトスカネリとかいうフランス人が喜望峰とか名づけたとか、名づけなかったとか、あまりにも喜ばしい地名のわりに、海の難所として有名で多くの海の男たちが犠牲になったと、いかにもその場にいたかのように歴史の教師はしたり顔で言っていた、馬のように長い顔だったことから、人知れず馬面と呼んでいたから詳しい名前は知らない。
少女は朝日を海が吐く瞬間を目の当たりにしている。
ここは紅海にちがいない。ブラジルやフィリピンとかいう二つの大陸はみつからないけど、あの美しい岬は喜望峰に違いない。
ブラジルやフィリピンは実母を殺すような悪い子にはみえない、きっと美しい天使がたくさんいる素晴らしいところなのだろう。
おそらく、少女がこれからしようとしていること、それを通過しても永遠に辿りけない、付け加えておくと彼女を産んで、かつ、自分の娘をして親殺しに仕立てた母親もそこには永遠にたどり着けまい。
仕事と男が彼女の生きがいだった。それらに現を抜かして、娘と顔を合わすのが一年に何度あったのか、片方の手で済む程度だ。
たまに高価な贈り物をすることが罪滅ぼしになったつもりか?それもマネージャーに指摘されなければ娘の生年月日にも気付かなかったくせに。
あの女の歌声がいかに美しかろうと、何万もの観衆を埋められるホールを3デイズ独占できようとも、たった一人の娘の耳には届かなかった。
いや、歌声が聞こえる。
幼いころの子守歌の記憶か?
祖母によると、少女にいつも歌を聞かせていたそうだ。今から思うと考えられないことだが。
たしかに、激しい息遣いとともに、自分の名前を呼ぶ声と、歌が聞こえてくる。
この歌はなんという歌だっけ?
少女は持っているはずのナイフを見てみると、それは母親の胸深く差し込んだはずのものだが、単なる魚だった。ぼうっとしている少女に捕えられるくらいだから、よほど間抜けなやつなのだろう。よくも生存競争が激しい海の中で生きてこられたものだ。
そんな魚でさえ生きられたのだから、少女も生きていけるだろうか?
しつこい。
まだ母親の歌声が響いている。これは神様の嫌がらせだ。たしかに母親は自分の手で殺したのだ。そのナイフを洗い落とすために海まではるばるとやってきた。やっと目的を思い出した。
気が付くとそれは銀色の魚に変化していた。今は水平線の向こうまで達しているにちがいない。ことによると、悪い子には見えないブラジルやフィリピン両大陸に達しているにちがいない。
そうなのだ。少女は悪い子にちがいない。
ものすごい圧力が身体全体にかかって背骨が割れてしまうかと思った。
母親の歌声が響く。
悪い子だ、悪い子だ、と生みの親が保障してくれるのだから確かなのだろう。
少女は永遠に両大陸をこの目で見ることはできないだろう。