ブログ新規立ち上げに際してあいさつ代わりの小説を書いた次の日の小説。

 少女は刃物を睨み付けていた。壊れかけのランプがそれを赤く色づかせている。あたかも誰かを殺したのちに、法的、マスコミ的に言うところの、凶器に見えてならない。いや、これから実行するのだから、あくまでも凶器予定品にすぎない。いまのところ、夏休みの宿題を片づけるための道具なのだ。

 ランプはイーゼルの上に乗ったスケッチブックをも同じように色づかせている。少女は血の滲んだ紙の上に木炭を乗せる気にならない。

 少女は、あくまでも表面的には宿題を7月の段階で完成させていた。絵に関して素人はおろかそれなりの教育を受けたものであっても、彼女の作品をかなりのものだと認めるにちがいない。

 しかし、彼女の担任であり美術の顧問である女教師は違う。

 一瞬で、あくまでも少女が母親の外見をなぞったにすぎないと、さすがに破りはしないだろうが、持って帰って描きなおしてこい、できあがるまでほかの絵に手を出すな、そのくらいは平気でいう人だ。

 彼女は自分の母親を殺そうとしている。

 いま、動機を考えているところだ。

 人を殺したのちに彼女は自分が人間でいられる自信がなかった。学校でいつも笑いあっている友人たちと同一の生き物である自信もなかった。それゆえに、人間であるうちに本心を明かしておこうと思ったのだ。机の上には仲のいい友人宛てに手紙が置かれている。

 しかし、こちらも正確には手紙になる予定のレポート用紙だ。

 いや、最後の文面だけは決まっている。いい匂いつきやかわいいキャラクターが描かれている素敵なレター用紙じゃなくてごめんね。高校の美術コースに通っているなら、それくらい自分で描けと責めてくるだろうか。そのときは刑務所に送ってもらっても困ると注意書きをしておくべきだろうか?行為後は、処女がべつの生き物になってしまうように、手錠をかけられた少女は友人が知っている彼女ではないのだ。その点は強調しすぎてもしすぎる、ということはあるまい。

 親友への手紙における心臓部は、母親殺人の動機である。

 少女は刃物を机の引き出しの中に隠した。

 夕食ができたと自分を呼ぶ声がした。シェフが作ったのにあたかも自身の手によるものかのような言いぐさだ。あの口で次に述べるようなことを吐いたことがいちばん許せない。この別荘に到着するなり、いきなり立ち止まって踵を返すから、彼女の胸に顔をうずめてしまったではないか・・・・彼女は驚く少女に誕生日プレゼントの靴を示すと同時にこう言った。

「誕生日おめでとう。だけど、今年の夏はこの私といっしょに過ごせるのがあなたへの最高のプレゼントよね」

 ふつう、母親の立場でいう言葉なのか、数万の観衆の前でそもそも平気で立っていられる人間なんて精神が破綻しているのよ、友人とアイドルの話などを共有することがあるが、親友だけはそのたびに顔は笑いながら目はひきつっていると、いつも主張してくる。あの母親は周囲にちやほやされすぎておかしくなったにちがいない。昨日の夜、彼女が自分に吐いた言葉がそれを何よりも雄弁に語っている。もう、殺すしかない。

 少女は、母親ではなく、シェフが作った最高の肉料理にナイフを入れながら、親友への遺書に自分の気持ちをどう文章化するか精神を痛めつけていた。絵と違って、文章は苦手だ。うまく自分の気持ちを素直に表現できない。

「ママ、とてもおいしいね」

 肉片を頬張った少女は、できるだけ、かわいい娘の顔を捏造した。そのとき、彼女が犯したミスは、親友の指摘もさるところながら、自分を産んだ、あくまでも産んだのであって育てたわけではない、母親が歌手としてだけでなく演技者としても多くの人から認められていることを忘れていたのだ。