略・・・・小説六日目

 少女の叔母と母親は年齢において20年の開きがある。ちなみに、二人は腹違いの姉妹である。それにも拘わらず瓜二つなのは、両者が父親似だからであろう。母親の若いころの写真をみるとそっくりである。

 だが、決して男顔ではないのは、少女の祖父が歌舞伎の女形を髣髴とさせるような美男子だったからである。それも古い写真で確認済みだ。

 付け加えておくと、少女自身もその系列の端っこにいると思われる。母親は似ていないというが、叔母も、その他、親戚連中が口を合わせて相似を証言するから、母親は自分に対して冷淡だ、腹を痛めた子供だとはみなしたくないと思っていると誤解しているのだ。

 列車を切り裂くような雨は小雨になっていた。

 わけのわからない外人は叔母のフィアンセらしい。少女が責めた知的障害がありそうな少年はニタニタと笑っている、彼女がこっぴどく責めたにもかかわらずだ。いまさらながらに汚れた黄色の罪悪感が背筋を這い登ってきた。

「ごめんね、せっかく助けてくれたのに」

 しかし、相変わらず意味不明な笑いを浮かべ続けている。おそらく、少女を救ったという認識すらないのかもしれない。少女はこれ以上のかかわりを避けようとした。しかし、少年はスカートの裾を捕まえて離さない。

「おばさん、おばさんの専門でしょ、見ていないで助けてよ」

「私の専門はジークムント・ユングの・・・・・」

 若い母親は建前だけ文句を言いながら、少年に語りかけた。その扱いは、さすがは精神科の専門医だけあると少女に思わせた。実の母よりもよほど、その様子をみていると自分にはふさわしいのではないかと、この叔母は強く印象付けてきた。

 少年は、どうやら母親と一緒に映画を見るために都心まで向かっていたらしい。なぜか、駅で起こった少女にまつわる事件に惹かれるように降りてしまったとのことだ。たまたま、彼が携帯を首にかけていたためにすぐに母親と連絡を取り、彼女が到着するまで待つことになった。

 少女は、例の外人と遊んでいる少年の耳に届かないように叔母の耳元に囁いた。

「駅長室で待ち合わせしてもらえばいいじゃない」

「冷たいこというな、あの子がいなければ、お前、今頃手錠をかけられていたぞ」

 母親の見せかけの優しさに比べればましだが、それでもこの雨にそっけない言い方は答える。

 少女は、しかし、叔母の顔をじっと眺めてみる。

 改めて久しぶりに出会ってみると、思わず彼女を母親と呼んでしまったことからも、そういう思いを強くする。

 20分くらいしてまるで平民が皇帝に接するようなぎょうぎょうしさで姿を現したのは、少年の母親である。容姿と態度からすぐにそれとわかった。今まで外人に遊んでもらって喜んでいたのに、母とみると泣いて抱きついた。少女たちに平謝りする母親を背に、三人は霧雨のなか帰宅することにした。

 駅からは徒歩で10分程度の場所にある。ちなみに少女は自転車を引く。

 いざ帰宅してみると、やはり、母親は家にいなく、お手伝いがあたかもその座にあるかのように対応した。傍から見れば彼女こそ、母親に見えるのではないか、相も変わらず、彼女は仕事と称して忙しいと言伝を頼んでいたらしい、そういう報告を受けながら少女は実母がさらに遠のいていく、あたかも死んでしまったかのようにすら思えてきた。

 しかし、経験上、いちど遠く離れると少女の元に戻ってくるのだ。

 だが、そのときは完全に忘れてしまっていた。

「ライブなんていつもあるわけじゃないでしょ、きっと、いいことして遊んでいるのよ」

 思わず絶望のあまり叔母にそう愚痴った。

 しかし、精神科医である彼女は少女の真意を、彼女の言葉の端々から簡単に読んでしまうのだった。

「そう言いながら、姉さんの予定に、異様にこまごましたところまで詳しいな、私なんて最新アルバムの題名すら知らないが?」

 

 その言葉が耳にハウリングしているうちに窓の外をみると夜のとばりが降りていた。彼女とそのフィアンセはいつの間にか夕食の用意をしていたようだ。彼女はたまりにたまった母親に対する鬱屈した感情を叔母たちにぶつけると自室に籠ってしまっていた。彼女らが料理を作っていることに気付いたのは、その日、土曜日はお手伝いさんが帰宅する日であって、少女は普段ならば食料を外から調達せねばならない決まりになっていたのに、かぐわしい食物の匂いが自室にまで漂ってきたからだ。

 それに気付いたとたんに罪悪感を催して自分も手伝うべきだと、少女が自室を出ると、すぐに例の経験則を思い出すことになる。

 ライブでもおそらくこれほどに朗らかにファンに対して呼びかけはしまい。少女は帰宅するなり空腹だと主張する母親に呆れる以外の感情を見出すことはできなかった。

 外人をみるなりまったく驚く様子をみせなかったから、もしかして、ネットを通じて紹介されたのではないかと少女はいぶかった。それではまるで自分だけが蚊帳の外に置かれてしまったかのようではないか。

 しかし、それは杞憂だとわかるにはかなり時間が必要だった。

 三人のオトナたちはリバプール語ではない外国語、おそらくはドレスデン語であろう、その言葉で会話を勝手にはじめていた、まるで20年来の知己のように、にこやかな微笑を浮かべていた。しかし、改めてこの母親の性格を思い出せばそれは十二分にありうるはなしだった。

「太陽国語でしゃべってよ、ここは太陽国よ」

 少女の一言で、母親は母国語を口にした、とても優しげな顔だったが、作り笑いだというのが如実に伝わってくる。女優として映画にも出演しているのだったら、もっと、少なくとも娘に疑われないくらいに、演技力で嘘をカバーしてほしかった。

 自宅が彼女の知らない外国から太陽国に戻ってから、やっと、さきほどの疑問を母親にぶつけることができた。

 母親の説明によると、二人は初対面だという、妹、すなわち、少女にとっては叔母だが、彼女のメアドすら知らないという。叔母が横で頷いている。

「今日、帰ってくるっていう電話の一本すらなかったのよ」

 これでも血がつながった姉妹だろうか、と少女は訝ったが、観察を深めるにしたがってふたりは深い絆でつながっていることが理解できた。母国語に戻っても少女の知らない外国語で会話されているのと変わらない、あのフィアンセすらその輪に確実に入っているのだ。その点、自分はどうだろう。このお客様待遇はどうしことだ。それも招かれざる客のような気がしてならなかった。