はてなブログ・・・略・・・小説、10日目。

 少女が母親を刺したことはまぎれもない事実だった。けっして、彼女の妄想ではなかった。確かにこの手に残っている感触は嘘ではなかった。

 だが、精神科医である叔母が言うには軽傷だったという、別荘にある医療キットで何とかなるという。海中からプライベートビーチに少女を連れて行く途中で叔母は言った。

「どうして、ママを見ていないの?・・・・ぁ」

 言い終わる前に叔母のフィアンセも医師であることを思い出した。しかも、外科医である。その点においては彼女よりも役に立つはずだ。

 砂浜にたどり着いたとき、すでに夜のとばりは降りていたはずだが、叔母の顔があまりも眩しくて直視できなかった。遠くのネオンサインや月明かり程度の明度に頼った視力にも拘わらず、一二秒とみていられなかった。

 別荘から灯りが漏れている。それが母親の呼吸が途絶えていない証拠に思えた。おそらく叔母はそれを自分にみせて何かを少女に促している。少女が決断することだと留めまで刺してきた。

 もっと、設備の整ったちゃんとした病院に搬送すべきであると、医師の立場からすると言わなければならない、という。そのことが意味することは少女はわかっていた。

「わかった、私、警察に行く」

 母親を診察した医師は当局に連絡するだろう。少女はそれ以前に自分でことを決めたかった。

そういう自分を叔母はどんな目で見ているのか、少女は想像しなから言った。考えたくないが、きっと、止めてくれると心のどこかで感情の襞が騒いでいた。だが、彼女の中の大多数はそれを恥ずかしいことだと主張していた。

 少女は、両者の葛藤で苦しみ傷ついた。

 後に叔母自身から聞いたことによると、そういう役割をする人間が一人は必要で、もしいれば父親がいれば適任なのだが、あの場にいなかったので自分こそがやるべしと、だれに言われるでもなく実行した、ということらしい。

 「姉さんが警察なんぞに行かせないというだろうことはわかっていた」

 後に、叔母が言うことだが、その時にはむろん真意を姪に明かすことはしなかった。少女は泣きながら、母親が死んでしまうと他人事のように言っていたという。彼女はその時のことを性格に叙述できない。記憶が完全に抜け落ちているのだ。

 なにかも自分のせいでありながら、都合のいい精神生態をしているではないか、思わず自嘲せざるをえない。だが、何か自分と違う意識を持った存在に意識の座を脅かされるのもまた真実なのである。

 寄せては返す波の音が、しかし、少女の背中を押した。

 母親が生きていることを確かめたかったが、いざ、顔を合わせたら自分がどうなってしまうのか怖くてそれはできなかった。

 だが、すでに述べたように叔母は、結果的には少女を警察に生かせるようなまねをしたくなかった、あくまでもそういう役どころが教育という名目で必要と判断したまでである。

「姉さんに会っていきなさい」

 少女はすぐにはその問いに応えることができなかった。

「服が濡れているから風邪をひくだろう?せめて着替えろ」

 卑近な理由によって理屈のすり替えをあえてすることで目的を達成しようとするのが叔母の目的であったが、少女はそれを見抜くことができなかった。普段は機転が早い少女が、服を代える必要があるのは叔母も同様だと主張するところか、頭にそういう言葉が浮かぶことすらできなかった。

そういう曖昧な思考状態のまま叔母に母が寝ている部屋に誘導されたのである。身を固くして拒絶する暇もなかった。なんと、彼女は自分が実母を刺したのが自室であることすら忘れていた。怪我をした人間を移動させることは危険である故に、叔母とそのフィアンセは少女のベッドに彼女を寝かせていた。

母親と目があったときには彼女の目力によって頭が捥げるとさえ本気で危惧した。無意識のうちに目から涙があふれていた。

 彼によって、医師として必要な処置がとられていた。当然、医療には素人の少女にとってわかるわけもないが、彼女を覆っている包帯や消毒薬のにおいからそう推定するよりなかった。

 母親と例のフィアンセは少女の知らない外国語で言葉を交わしあっていた。それが悪魔を招聘する呪文に思えた。カーペットに描かれている模様は魔法陣に見えないこともない。そのような妄想が頭に浮かぶこと自体、彼女が本来の自分を取り戻しつつある証拠だが、それは彼女が自分に対して許すまじ状況だった。母親を傷つけた以上、常に自殺の衝動に駆られるほど追いつめられていなければならないのだ。

 それにもかかわらず身の保身を心のどこかで考えている自分に幻滅した。叔母の声は地獄から響いてくるように思えた。

「姉さんから目を離さないの」

 おずおずと警察に行くととんでもないと怒鳴った。おかげでエビのように身体をまげて苦痛を耐える羽目となった。それが自分のもたらしたことだと少女は思い知らされた。それがさらに精神に激痛を走らせることになった。

「そんなこと、この私が許すと思って?」

「マ・・・・・!?」

 おずおずと近づいた少女の手首を想像以上の握力で摑むと、無理やりに引かれた。同時に母親はさらなる激痛に美しい眉をひそめたが、まったく意に介さない様子でより強い力で娘を自分の方向に近づけた。

 顔と顔がまさに接触しようという距離である。吐息がまさにかかるような、あたかも若い母親と幼児のように接近してしまった。少女にしてみれば毒蜘蛛にからめ捕られた蝶の心持である。

 思えば少女に母を刺すように仕向けたのではなかったか、そのような根拠のない妄想が彼女の心を支配した。あの、いま、二人の距離感からするとこの言い方がふさわしいのかもしれないが、とりあえず、あのということにして・・・・あの母親が自分を引き付けるために愚かで底の浅い狂言を打つとはとうてい思えない。もしもそうならいっそのことうれしいくらいである。歪んではいるが母親の愛情ということができるだろう。

 あの母に限ってそんなことはありえない。

 しかも、いま、彼女は娘のためにライブ前の貴重な時間を提供していたのではなかったか?

 夜は寄せては返す波の音が余計に強く、それも聴覚だけでなしに全身に伝わってくる。しかし、いま、彼女には寄せる音がけが響く、自分を海に引きずり込む、たしか、エウロペ大陸の神話では人魚が美しい歌を歌って男を眠らせて食べてしまうそうだ。

 アーティストとしての彼女のキャラは人魚である。言いえて妙だ。しかし、自分を髭の生えた魚師に例えるのは滑稽というよりほかにない。

 このようなばかげた発想は、自分がしてしまったことからの逃避だろうか?